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最高裁判所第三小法廷 平成3年(オ)2030号 判決

上告人 屋比久修代

同 屋比久勝

同 屋比久美鈴

右三名訴訟代理人弁護士 木村澤東 田村宏一

被上告人 大崎敏晧

右訴訟代理人弁護士 前川信夫

主文

原判決を破棄する。

本件を大阪高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人木村澤東、同田村宏一の上告理由第六について

一  原審の認定し、また当事者間に争いがないとされた事実関係は、次のとおりである。

1  上告人屋比久勝及び同美鈴は、大崎産婦人科医院を開業する医師である被上告人との間で、昭和四八年九月二〇日、上告人美鈴が出産のために右医院に入院する際、分娩、分娩後の母子の健康管理及び仮に病的異常があればこれを医学的に解明し、適切な治療行為を依頼する旨の診療契約を、同月二一日、上告人屋比久修代が出生した際、同女の法定代理人として、上告人修代の健康管理及びその身体に病的異常があればこれに対する適切な治療行為と治療及び療養方法についての指導を依頼する旨の診療契約をそれぞれ締結した。

2  上告人美鈴の出産予定日は昭和四八年一一月一日とされていたが、上告人美鈴は、同年九月二〇日、被上告人経営の医院に入院し、翌二一日、吸引分娩により上告人修代を未熟児の状態で出産した。同女の生下時体重は、二二〇〇グラムであり、前頭位であって、仮死状態ではなかったものの、娩出後少し遅れて泣き出し、顔面はうっ(鬱)血状態を示していたが、それ以外には特に異常は認められなかった。被上告人は、同日夕方から上告人修代を保育器に入れ、同月二三日まで酸素を投与し、二四日には酸素投与を中止し、二五日には保育器から小児用寝台に移した。

3  上告人美鈴は、長男の真弘、長女の差代もともに被上告人の医院に入院して順次出産したが、この二人のどちらにも黄疸が出たこと、上告人修代は三人目で、この場合は黄疸が強くなると児が死ぬかもしれないと他人から聞かされ、母子手帳にも血液型の不適合と新生児の重症黄疸に関する記載があったことなどから第三子である上告人修代に黄疸が出ることを不安に思い、被上告人に上告人修代の血液型検査を依頼した。被上告人は、これに応じて上告人修代の臍帯から血液を採取して血液型の検査を行い、同女の血液型を母親と同じO型と判定し、その旨を上告人美鈴に伝えた。しかし、この判定は誤りで、実際には上告人修代の血液型はA型であった。

4  上告人修代の黄疸は、生後四日を経た同年九月二五日ころから肉眼で認められるようになり、同月二七日に被上告人がイクテロメーター(黄疸計)で計測したところ、その値は二・五であったが、その後退院する同月三〇日まで上告人修代の黄疸は増強することはなかった。この黄疸についての被上告人の上告人美鈴らに対する説明は、上告人美鈴らにとって、上告人修代には血液型不適合はなく黄疸が遷延するのは未熟児だからであり心配はない、と理解される内容のものであった。

5  被上告人は、同年九月三〇日、上告人修代には軽度の黄疸が残っており、体重も二一〇〇グラムで生下時の体重を下回っていたが、食思は良好で一般状態が良かったため、上告人修代を退院させた。右退院に際して、被上告人は上告人美鈴に対して、何か変わったことがあったらすぐに被上告人あるいは近所の小児科の診察を受けるようにというだけの注意を与えた。

6  上告人修代は、同年一〇月三日ころから黄疸の増強と哺乳力の減退が認められ、活発でなくなってきた。そこで、上告人美鈴は、同月四日、たまたま自宅店舗(時計店)に客として訪れた近所の小児科医に「うちの赤ちゃん黄色いみたいなんですけど、大丈夫でしょうか。」と質問したところ、右小児科医は、心配なら淀川キリスト教病院の診察を受けるよう勧めた。しかし、上告人勝が受診を急ぐことはないと反対したことなどから、上告人修代を右病院に連れて行ったのは同月八日になってからであった。

7  上告人修代は、同年一〇月八日の午前一一時ころ、淀川キリスト教病院で診察を受けたが、その時点では、上告人修代の体温は三五・五度、体重は二〇四〇グラムで、皮膚は柿のような色で黄疸が強く、啼泣は短く、自発運動は弱く、頭部落下法で軽度の落陽現象が出現し、モロー反射はあるが反射速度は遅いという状態であり、また、血清ビリルビン値測定の結果では、総ビリルビン値が一デシリットル当たり三四・一ミリグラムで、そのうち間接(非抱合)ビリルビン値が三二・二ミリグラムであった。

上告人修代は、同病院医師竹内徹により核黄疸の疑いと診断され、同日午後五時三〇分から午後七時三〇分にかけて交換輸血が実施された。しかし、上告人修代は、核黄疸に罹患し、その後遺症として脳性麻痺が残り、現在も強度の運動障害のため寝た切りの状態である。

8(一)  核黄疸は、間接ビリルビンが新生児の主として大脳基底核等の中枢神経細胞に付着して黄染した状態をいい、神経細胞の代謝を阻害するため死に至る危険が大きく、救命されても不可逆的な脳損傷を受けるため治癒不能の脳性麻痺等の後遺症を残す疾患である。核黄疸の発生原因としては、血液型不適合による新生児溶血性疾患と特発性高ビリルビン血症とがあるが、いずれも血液中の間接ビリルビンが増加することによって核黄疸になるものである。

(二)  核黄疸の臨床症状は、その程度によって第一期(筋緊張の低下、吸啜反射の減弱、嗜眠、哺乳力の減退等)、第二期(けいれん、筋強直、後弓反射、発熱等)、第三期(中枢神経症状の消退期)、第四期(恒久的な脳中枢神経障害の発現)の四期に分類されるのが一般であり(プラハの分類)、また、核黄疸の予防及び治療方法としては、交換輸血の実施が最も根本的かつ確実なものであるが、この交換輸血は右の第一期の間に行う必要がある。このような核黄疸についての予防及び治療方法は、上告人修代の出生した昭和四八年当時も現在も変わらない。

(三)  右の交換輸血の適応時機の決定に最も重要な意義をもつのは血清ビリルビン値であって、血清ビリルビン値の核黄疸発生に関する危険いき(閾)値は、一般に成熟児では一デシリットル当たり二〇ミリグラム、未熟児では一五ミリグラムとされているところ、昭和四八年当時は、独自に血清ビリルビン値の測定をする開業医はほとんどなく、一般に肉眼及びイクテロメーターを用いて黄疸の程度を観察し、黄疸が強ければ、血清ビリルビン値を測定できる医療機関に測定を依頼したり、転医させるなどの措置を執るのが通常であった。また、血清ビリルビン値の測定を行うべきか否かのイクテロメーターの限界値は、四・〇とされていた。

二  原審は、右事実関係の下において、上告人修代にプラハの分類による第一期症状が出始めたのは、退院の三日後である昭和四八年一〇月三日ころであり、同月八日には既に第二期の症状を示していた。上告人修代の核黄疸は、原因は不明であるが被上告人の医院を退院した時に存在していた黄疸が遷延していたところに、退院後に発生した感染症を基礎疾患とする哺乳力低下、脱水が加わり、黄疸が急速に増強したことにより生じたものであると認定し、退院までの上告人修代の黄疸は軽度であり、交換輸血の適応時機ではなかったから、被上告人には交換輸血を自ら実施し、あるいはこれを実施できる他の医療機関への転医の措置を執るべき注意義務はなく、また、上告人修代は未熟児であったが、黄疸の症状は軽度で、一般状態は良かったことが確認されているから、被上告人が上告人修代を退院させたことに注意義務違反はなかったと判断した上、上告人修代が退院する際の被上告人の措置に関して、次のように判示した。すなわち、

新生児特に未熟児の場合は、核黄疸に限らず様々な致命的疾患に侵される危険を常に有しており、医師が新生児の看護者にそれら全部につき専門的な知識を与えることは不可能というべきところ、新生児がこのような疾患に罹患すれば普通食欲の不振等が現れ全身状態が悪くなるのであるから、退院時において特に核黄疸の危険性について注意を喚起し、退院後の療養方法について詳細な説明、指導をするまでの必要はなく、新生児の全身状態に注意し、何かあれば来院するか他の医師の診察を受けるよう指導すれば足りるというべきところ、被上告人は、上告人修代の退院に際し、上告人美鈴に対して、何か変わったことがあったらすぐに被上告人あるいは近所の小児科医の診察を受けるよう注意を与えているのであるから、退院時の被上告人の措置に過失はない。

三  しかしながら、退院時の被上告人の措置に関する原審の右判断は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。

人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのであるが(最高裁昭和三一年(オ)第一〇六五号同三六年二月一六日第一小法廷判決・民集一五巻二号二四四頁参照)、右注意義務の基準となるべきものは、一般的には診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であるというべきである(最高裁昭和五四年(オ)第一三八六号同五七年三月三〇日第三小法廷判決・裁判集民事一三五号五六三頁、最高裁昭和五七年(オ)第一一二七号同六三年一月一九日第三小法廷判決・裁判集民事一五三号一七頁参照)。ところで、前記の事実に照らせば、新生児の疾患である核黄疸は、これに罹患すると死に至る危険が大きく、救命されても治癒不能の脳性麻痺等の後遺症を残すものであり、生後間もない新生児にとって最も注意を要する疾患の一つということができるが、核黄疸は、血液中の間接ビリルビンが増加することによって起こるものであり、間接ビリルビンの増加は、外形的症状としては黄疸の増強として現れるものであるから、新生児に黄疸が認められる場合には、それが生理的黄疸か、あるいは核黄疸の原因となり得るものかを見極めるために注意深く全身状態とその経過を観察し、必要に応じて母子間の血液型の検査、血清ビリルビン値の測定などを実施し、生理的黄疸とはいえない疑いがあるときは、観察をより一層慎重かつ頻繁にし、核黄疸についてのプラハの第一期症状が認められたら時機を逸することなく交換輸血実施の措置を執る必要があり、未熟児の場合には成熟児に比較して特に慎重な対応が必要であるが、このような核黄疸についての予防、治療方法は、上告人修代が出生した当時既に臨床医学の実践における医療水準となっていたものである。

そして、(一) 上告人美鈴は、被上告人の医院で順次出産した長男や長女にも黄疸が出た経緯があり、上告人修代は三人目で、この場合は黄疸が強くなると児が死ぬかもしれないと他人から聞かされ、母子手帳にも血液型の不適合と新生児の重症黄疸に関する記載があったことから、第三子である上告人修代に黄疸が出ることを不安に思っていた、(二) そのため上告人美鈴は、被上告人に上告人修代の血液型検査を依頼し、被上告人は、これに応じて血液型検査を行ったが、その判定を誤り、実際には上告人修代の血液型はA型であったのに母親である上告人美鈴の血液型と同じO型であるとした、(三) 体重二二〇〇グラムの未熟児で生まれた上告人修代には、生後四日を経た昭和四八年九月二五日ころから黄疸が認められるようになり、上告人美鈴らはこれに不安を抱いたが、被上告人は、上告人修代には血液型不適合はなく黄疸が遷延するのは未熟児のためであり心配はない旨の説明をしていた、(四) 上告人修代の黄疸は同月三〇日の退院時にもなお残存していた上、上告人修代の体重は退院時においても二一〇〇グラムしかなかったなどの事情があったことは、前述のとおりである。

そうすると、本件において上告人修代を同月三〇日の時点で退院させることが相当でなかったとは直ちにいい難いとしても、産婦人科の専門医である被上告人としては、退院させることによって自らは上告人修代の黄疸を観察することができなくなるのであるから、上告人修代を退院させるに当たって、これを看護する上告人美鈴らに対し、黄疸が増強することがあり得ること、及び黄疸が増強して哺乳力の減退などの症状が現れたときは重篤な疾患に至る危険があることを説明し、黄疸症状を含む全身状態の観察に注意を払い、黄疸の増強や哺乳力の減退などの症状が現れたときは速やかに医師の診察を受けるよう指導すべき注意義務を負っていたというべきところ、被上告人は、上告人修代の黄疸について特段の言及もしないまま、何か変わったことがあれば医師の診察を受けるようにとの一般的な注意を与えたのみで退院させているのであって、かかる被上告人の措置は、不適切なものであったというほかはない。被上告人は、上告人修代の黄疸を案じていた上告人美鈴らに対し、上告人修代には血液型不適合はなく黄疸が遷延するのは未熟児だからであり心配はない旨の説明をしているが、これによって上告人美鈴らが上告人修代の黄疸を楽観視したことは容易に推測されるところであり、本件において、上告人美鈴らが退院後上告人修代の黄疸を案じながらも病院に連れて行くのが遅れたのは被上告人の説明を信頼したからにほかならない(記録によれば、上告人美鈴は、一〇月八日上告人修代を淀川キリスト教病院に連れて行くに際し、上告人勝が上告人修代に黄疸の症状があるのは未熟児だからであり心配いらないとの被上告人の言を信じ切って同行しなかったため、知人の松本勝子に同伴してもらったが、同病院の竹内医師から上告人修代が重篤な状態にあり、直ちに交換輸血が必要である旨を告げられて驚愕し、松本を通じて上告人勝に電話したが、急を聞いて駆けつけた同上告人は、竹内医師から直接話を聞きながら、なお、その事態が信じられず、竹内医師にも告げた上で、被上告人に電話したが、被上告人の見解は依然として変わらず、上告人勝との間に種々の問答が交わされた挙句、竹内医師の手で上告人修代のため交換輸血が行われた経緯が窺われるのである)。

そして、このような経過に照らせば、退院時における被上告人の適切な説明、指導がなかったことが上告人美鈴らの認識、判断を誤らせ、結果として受診の時期を遅らせて交換輸血の時機を失わせたものというべきである。

したがって、被上告人の退院時の措置に過失がなかったとした原審の判断は、是認し難いものといわざるを得ない。そして、被上告人の退院時の措置に過失があるとすれば、他に特段の事情のない限り、右措置の不適切と上告人修代の核黄疸罹患との間には相当因果関係が肯定されるべきこととなる筋合いである。原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があるものといわざるを得ず、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり、原判決は破棄を免れず、更に審理を尽くさせるため、原審に差し戻すこととする。

よって、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 可部恒雄 裁判官 園部逸夫 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)

上告代理人木村澤東、同田村宏一の上告理由

《目次》

第一.原判決の特徴点

一.総論

二.乙第二号証の信用性

三.上告人修代の黄疸経過

四.認定の明瞭さを理由の不備

第二.債務不履行の法的構成

一.医師の一般的債務内容

二.本件における債務内容

三.債務に対応する事実認定

四.事実認定の方法論

五.医療過誤における訴訟資料の乏しさと立証関題

第三.乙第二号証の信用性

一.原判決が乙第二号証を採用した理由

二.乙第二号証の記載が信用に値しない理由

第四.鑑定意見について

一.鑑定書の二つのスタンス

二.四家・中村鑑定の推論過程

三.竹内鑑定のスタンス

四.加部鑑定

第五.黄疸の経緯と感染論

一.二つの論点

二.感染説は本当に成り立ち得るのか

三.上告人の主張-漸次増強論

四.問題の本質

第六.説明義務違反

一.本件核黄疸は、どうすれば防止しえたか

二.二つの説明義務違反

三.一般的説明義務

四.注意力低下

五.原判決の判断

六.因果関係

第七.司法的救済

原判決には、明らかに判決に影響を与えるべき法令違背-理由不備及び理由齟齬、法令の解釈適用の誤り並びに審理不尽の違法がある。

第一原判決の特徴点

一 総論

原判決の判断は、大綱においてほぼ一審判決を踏襲したものであるが、一審判決がいずれとも判断しかねるとしていた諸点について踏み込んだ事実の認定を行っている(結果としてより明瞭に誤謬を犯している)。しかし、他方原審においてなした上告人の主張については、十分にこれを整理し、判断を下しているとは到底言いがたい。

まず最初に、一審判決と比較して原判決の特徴的な点について順次指摘する。

二 乙第二号証の信用性

本件において最も重要な乙第二号証の一及び同号証の四(乙第三号証はその翻訳)の信用性についての判断が第一の特徴として挙げられよう。

1 一審判決は、乙第二号証の一及び同号証の四の信用性について、

〈1〉 上告人美鈴において、一〇月八日時点では未だ記憶が鮮明であったであろうこと

〈2〉 医師の問診に対してできるだけ正確に答えようとする筈であること

をもって信用性を認める根拠に挙げている(一審判決一九丁表)。

2 これに加えて原判決は、

〈3〉 上告人美鈴は、黄疸の危険性についても十分に認識していたので、上告人修代の黄疸の症状につき留意してこれを正確に観察したうえ記憶したことを医師に問われるままに説明した。

と信用性の根拠を追加し、且つ右認定に至る間接事実として、

上告人美鈴は既に二児の出産経験者で長男は新生児黄疸が四日目に少し出た、長女は長男の場合よりも少し強く出たので被上告人が注射をしたこと、

上告人修代は三人目の出産で、この場合は黄疸が強くなると児が死ぬかもしれないと人から聞かされ、また母子手帳にもそのようなことが書かれてあったので心配で、被上告人に上告人修代の血液型検査を依頼したこと、

の二点を挙げている(以上原判決五丁裏)。

要するに、上告人美鈴は、本来的に黄疸の危険を了知していたので、一層黄疸に対する観察眼も鋭くまた記憶も鮮明であった筈であり、それ故問診の回答も相当程度に正確であろうとの論法と思われる。

三 上告人修代の黄疸経過

原判決は、上告人修代の黄疸の経過について、『被上告人医院退院時に未熟児ゆえの遷延性黄疸が遷延している状態にあり、退院後の一〇月三日頃から感染を基礎疾患とする哺乳力低下・脱水が発現して黄疸が急速に増強し核黄疸になった』という認定をしている(原判決六丁裏以降)。

この点、一審判決は『本件の場合核黄疸になった原因は究極的には不明であるが、何らかの原因で遷延していた黄疸が退院後の感染、脱水などの事情により急速に増悪した可能性が比較的大きい』という認定に留まっている点と対照的である。つまりは、一審よりも明確に退院後の感染の事実を認めているわけである。

四 認定の明暸さを理由の不備

このように原判決の認定は、一審の認定よりも曖昧な部分が少なく、より明暸なものと言える。

しかし、そのことは逆に言えば、右認定に至る論拠の薄さを一審よりも露呈することでもある。原審は何故に、上告人らの慎重な医学的推論や加部鑑定意見を排斥することができたのだろうか。原判決を子細に検討しても、このような結論を導くに足りる十分な理由は付されておらず、理由らしき部分においても論理の飛躍が目に余るのである。要するに原判決は認定事実が明暸になった反面、逆に理由が粗雑になったものと評しえよう。上告人らが理由不備・齟齬・ひいては審理不尽を主張する所以である。

第二債務不履行の法的構成

一 医師の一般的債務内容

本訴において上告人は被上告人の債務不履行を主張しているので、同主張の法的構成についてまず概括的に述べる。

医療契約における医師の債務の内容は、事案によって千変万化し、一義的に特定してこれを表すことは不可能であるが、一般的にいえば、最高裁判所昭和三六年二月一六日判決のように、『人の生命及び身体を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求される(民集一五巻二号二四四頁)。』ということになろう。

二 本件における債務内容

では、本件の場合,被上告人にいかなる債務の不履行があったのか、そしてその前提としていかなる状況において被上告人の債務の内容が具体的に構成されるのかを検討しなくてはならない。

被上告人は産婦人科医であり、上告人美鈴が上告人修代を出産するに際し、母子の健康につき『実験上必要とされる最善の注意義務』が課せられる。

本件においては、上告人修代に発症した黄疸について、

〈1〉 生理的黄疸か否かを経時的に観察すること

肉眼での観察、イクテロメーター、ビリルビン値の測定

〈2〉 黄疸の状況に応じて適切な措置をとること

経過の観察、より精密な検査、設備の整った病院への転院措置

〈3〉 退院するにあたり、被上告人にかわり新生児を観護する両親に対し、事態の変化に適切且つ迅速な対応をなしうるように指示説明をすること

などの段階的な注意義務が認められる。

三 債務に対応する事実認定

そうなってくると、右各注意義務から導き出される前提的事実認定の論点は、

〈1〉 被上告人の観察下にある時点(九月二一日出生から同月三〇日までの入院期間)における上告人修代の黄疸の症状経緯はいかにあったのか、

〈2〉 被上告人医院退院時における上告人修代の黄疸の症状はどの程度のものであったのか、またそれはどのような傾向(回復・悪化・遷延)であったか。

〈3〉 被上告人は、退院時においてどのような説明をなしたのか。

が挙げられる。

そして次に、被上告人の各措置の懈怠と結果に対する因果関係はどうなるか、その寄与の割合はどの程度か、という問題が生じるのである。

四 事実認定の方法論

1 本訴においてこれらの諸点を明らかにするためには、争いの少ない周辺事実を適切に配置し、これらの事実を起点としてあらゆる角度から推論を巡らせていかねばならない。

2 右の周辺事実の指摘と論理については、原審における控訴人第八回準備書面四頁以降に論じたとおりである。右書面は、本件における前提資料からの推論と、結果からの消去法的逆認定とを、専ら医学的観点から論じた。さらに控訴人第一〇回準備書面では社会的経験則の観点からの認定論理を開陳した。その具体的内容は、各書面を参照されたいし、また本書においても該当箇所で触れる。

結論的に言えば、これらの前提となる医学的資料からでは、十二分に本件事案を解明することはできないということであり、これを解明しようとするならば更に緻密な医学的推論を巡らし可能性を検証することであり、さらにこれに加えて社会的事実の経緯が右各可能性に整合するかどうかを総合的に判断していくという非常に手間のかかることをせねばならないということである。

3 ところが、原判決はこれをなさなかった。原判決の認定論理は、すべて『はじめに乙第二号証ありき』である。乙第二号証の記載を認定の基礎とすることはこれらの複雑な手法を用いずに、一挙に問題を解決できる、それだけに安易で危険な手法であるが、原判決はこの安易な道を選択してしまった。原判決の誤謬の根源はここにある。後に詳述するが、加部鑑定につき深くその医学的合理性を吟味することなく排斥する理由も乙第二号証であるし、上告人が積み上げてきた種々の問題点の指摘と検討を殆ど一顧だにしようとしないのも乙第二号証によるものである。要するに原判決は乙第二号証に頼り切っているのである。

4 しかし、このような手法は、当然のことながら、あらゆる点で破綻する。これが上告人の本上告の本義である理由不備・審理不尽の実体的根拠である。すなわち、乙第二号証の信用性の認定についても、上告人が指摘する様々な問題点をことさらに無視し、非常に浅いところで表面的に認定している。また結論として論じられる症状経緯についても、『間接ビリルビン値が高いので感染の可能性はない』『あったとしても非常にまれ』という鑑定意見が出されているにもかかわらず、これらを過小に位置付け『ないことはない』『そうだとしても矛盾はしない』という殆ど確率論を無視した強引な認定をしている。

もちろん、すべからく訴訟において、すべての事実や所見が美しく整合すること等ありえない。いずれかの事実を認定しようとする以上、何らかの反対事実との衝突は避け難い。その場合、その反対事実のみを拾い集め判決を論難することはたやすいことであるし、間違っている。上告人においても右の理は当然にわきまえている。上告人は、双方に有利不利一切の訴訟資料を集め、その上で論じているのである。

各論に入る前に、まず右の基本的な構造を強く指摘しておくことにする。

五 医療過誤における訴訟資料の乏しさと立証問題

1 ところで、前述したとおり本訴においては、非常に証拠資料に乏しいという問題がある。

この点は一審でも原審でも論議されてきた問題であるが、被上告人医院入院中の記録がほとんど記載されていない。そして退院から淀川キリスト教病院にいくまでの八日間については医師の支配下にないため、どのような経過であったのか客観的な医学上の記録というものがまるで存在しない。そうなってくると、先に述べたようにほぼ認められる周辺の諸事実をもとに、種々の推論を重ねていかねばならないのである。ここに本件訴訟の困難性がある。

2 被上告人医院において確かな黄疸の経緯を記載した記録が存在しないことは、『真実問題なく推移していたから記載すべき内容がないのは当然』とする被上告人の主張と『元来経過観察を怠っていたのだからいずれにせよ然るべき記載がある筈もなく、逆に被上告人のカルテに十分な記載がないことは被上告人の観察義務懈怠の傍証となる』とする上告人らの主張とで、いずれとも結び付くのである。

3 しかし、右記録が存在しないことによって不利益を被るのは結局上告人らにほかならない。被上告人の記載不十分の不利益を、何故上告人らが負わねばならないのか、上告人らとしてはまことに釈然としない。当時の医療水準の問題もあるが、被上告人において入院中でもビリルビン値を測定し、その経過を記しておけば、事柄は遥かに明暸になった筈である。少なくとも一度は計っているイクテロメーターについて、経日的に測定・記載しておけば、ここまで推論に推論を重ねて論議することはなかったのである。

4 上告人美鈴が我が子の黄疸を心配し、何度も被上告人に問い、血液検査まで施行されているのは、ほぼ争いのない事実である。また吸引分娩や未熟児などの黄疸のリスクを負っており、退院時でも黄疸が遷延していたという本件事案において、真実上告人修代の黄疸が生理的範囲に留まっていたとしても、単なる『肉眼的観察』を主とし、イクテロメーター一回だけの記載(もっとも当該記載についてさえ争いはある)しかないというのは、いかに被上告人が観察は怠らなかったと主張しても、医師として十分な観察を行なったとは思い難いのである。少なくともこの程度の記載しかないという状況について被上告人には一定の帰責性があろう。しかし、逆に上告人らにおいてその不利益を甘受せねばならないということは、どのように考えても不公平である。仮にここに、全く患者を診ず、カルテも記載せぬまま症状を看過し重大な事態に至らしめたという典型的な過誤があったとしても、当然のことながら証拠のない患者としては、その経緯を立証することができず、敗訴になってしまう可能性が高いのである。このような不正義がまかりとおって良いわけはない。

5 医療過誤訴訟においては種々の特殊性が論議されているが、決め手となる訴訟資料が医師側に偏在する点が当事者の対等性を大きく損ない、適切な権利実現を阻んでいるとの指摘は、既に多くなされている。例えば中野貞一郎博士は、医療過誤訴訟をもって『情報偏在訴訟』とし、患者側の主張立証の困難性をどのように克服し、権利の実現を図るように、民事訴訟制度の運用における一つの問題であると指摘されている(法学教室二六号六頁『医療過誤訴訟について』)。

6 元来、法は事案の特殊性や被害救済の必要性に応じて、無過失責任、中間責任、あるいは重過失責任などの特殊類型を設けて、実質的公平に意を払っている。工作物責任しかり、自動車損害賠償補償法しかり、逆に責任を軽減するものとして失火責任法しかりである。そして明文の規定がなくとも、解釈によってこれらの不平等を是正しようとする試みはなされている。後でも述べるが、困難な医療過誤訴訟や公害訴訟などにおいて挙証責任の転換や、過失の推定法理などの実践理論の構築がはかられているのである。

これらの法理の延長として、本件のようになされてしかるべき検査がなく、症状経緯の記載がほとんどないために患者側が多大な立証の困難を背負わされるような場合には、逆に医師側において積極的に無答責を立証するような訴訟上の配慮があってしかるべきである。

7 ところが原判決はこのような問題に対して全くといって良いほどに意識を持っていない。単に民法四一五条の問題として淡々と処理している。

国民は裁判所や司法権に『処理』を期待しているのではない。『救済』を期待しているのである。認定論理の齟齬、さらには理由不備・審理不尽の具体的挙示に入る前に、まず原判決の医療過誤訴訟に対する貧弱な識見を批判し、これ自体が既に法令の解釈適用の誤りを構成するものであると、上告人は主張する。

第三乙第二号証の信用性

右に述べたように、原判決の結論導出の道筋は、すべて乙第二号証から出発している。

それでは、乙第二号証はそれほどまでに、全ての認定の基礎となりうるほどに、信用するに値するものなのであろうか。まずこの点を検討する。

一 原判決が乙第二号証を採用した理由

1 原判決は一審判決と同じく乙第二号証の記載内容につき、信用に足るものとして採用し、前述のように一審に付加して論拠を挙げている。

すなわち、前記指摘のように〈1〉記憶の鮮明性、〈2〉正確に答えようとした筈という一審で挙げられた論拠の他に、〈3〉黄疸の危険性をよく認識していたので、観察眼も鋭く、それ故問診の回答も正確であろうとの論拠を挙げている。

2 しかし、こんな理由で乙第二号証の信用性が認められるのだろうか。

本来、上告人が主張していた事実は、上告人美鈴において気が動転していて十分な応答ができなかったということであり、又そもそも観察力表現力が不十分であったから、正確な回答は望み難いという点である。そして、いかなる理由によってそのような心理状態に陥っていったのか、その点についても間接事実を多数挙示して主張していたのである。

一審並びに原審の指摘する事実は、それ自体首肯するに難のあるものではない。確かに、〈1〉についていえば、数年経過した後の記憶とわずか数日後の記憶とを比べれば、後者の記憶の方が鮮明であろう。しかし、ここでは記憶の鮮明さを論じているのではなく、そもそも問診の時点で上告人美鈴にどれだけの認識能力があったのか、冷静に説明することができたのかが問題となっているのである。そもそも黄疸が強い・弱いということはすぐれて評価を含む認識であって、上告人が再三述べているように、上告人らは被上告人の説明によってその認識能力を曇らされているのである。〈1〉のように、一般論を並べ立ててみても、本件の認定を左右する力はないのである。

3 〈2〉についても同様である。なるほど、母親たるもの医師に対してわが子の状態を出来るだけ正確に伝えようとする筈であろう。上告人もその点に異を唱えているわけではない。上告人は、上告人美鈴が問診において敢えてでたらめを言おうとしたから、乙第二号証は信用しがたい等という愚劣な主張をしているのではないのである。

確かに、上告人美鈴は能う限り正確に述べようとしたであろうが、問題はそれができたか、十分な認識力をもとに過不足なき表現力で説明することが可能であったか否かであって、問題のレベルが明らかに異なり、何の論拠にもなりえない。

4 そこで、原判決は、上告人美鈴の認識力について言及し、論拠を補強しようと試みたものと思われる。そして、先に出産した二名の子供に黄疸があり、母子手帳の記載も併せ黄疸について強い関心と懸念を抱いていたという状況から、上告人修代の黄疸の発症並びに経緯について十分にこれを観察していたという事実を挙げている。

ただし、これらの前提事情は上告人においても全く同意見である。まさに上告人美鈴は上告人修代の黄疸について出生以来一貫して心配してきたのである。

しかし、原審は、この事実から、『問診に対して適切に応答することができた筈』という結論に結び付けるのであるが、これは明らかな論理の飛躍、さもなければ論点の見落しに基づくものである。

二 乙第二号証の記載が信用に値しない理由

1 上告人が一審から主張してきた重要な柱の一つに、上告人美鈴はこのように黄疸に対する深い懸念を抱きこれを訴え続けてきたのであるが、被上告人によって絶えずこの疑問を押し潰されてきたという事実がある。『先生、この子黄色いですけど大丈夫でしょうか』という母親の素朴な疑問を、『未熟児だから大丈夫だ』とのことで被上告人は退け続けてきた。ところがいざ淀川キリスト教病院にいけば手遅れであるという。要するに上告人からすれば専門家の意見が食い違っているわけである。手遅れと聞かされたときの深い心理的衝撃もさることながら、理性的認識のレベルにおいても混乱しない筈がないではないか。

2 ここで上告人は訴えたい。いったい上告人ら医学的素養もない一般人において、専門家たる医師の発言が如何に重いものか。一般人は自分の目を信用しない。否、医師に反対のことを言われれば、自分の意見や認識を信用することなど出来ないのである。上告人美鈴は、『この子は黄色いけど大丈夫なんだろうか』と懸念している。何度も何度も訴えをしている。しかしその都度『それはそういうものなのだ。心配ない』と言われている。この時点で控訴人美鈴の認識というのは、『上告人修代は、前の二人の子供と違って黄色いけど、未熟児だから大丈夫な黄色さなのだ』というものである。そうして『大丈夫だ』としつつ払拭できない思いを晴らすべく淀川キリスト教病院に向かう。そこで、大丈夫な筈の黄疸が手遅れであると聞かされる。

その状態で、『いつからこんなに黄疸がひどくなったのですか?』と聞かれて、何と答えられるのであろうか。ひどくないと思っていた人間が、『いつからひどくなった』という質問に正確に答えられる筈はないではないか。

原審の認定はこれらの事実を全く黙殺し、安直というも憚られるほどに、上告人美鈴が黄疸を懸念していたから適切な観察眼に基づく問診回答をしている筈だとしている。

3 重複を恐れず指摘するならば、原判決のとおり上告人美鈴が上告人修代の黄疸の症状を真摯に懸念していたという前提であるならば、またその懸念に基づいて血液型検査まで申し出ているという前提において、退院後に急激に黄疸が増悪したとするなら、上告人美鈴は何故一度でも被上告人のもとに診せにいかなかったのか。なぜ一〇月八日を待たず診察に連れていかなかったのか。そして淀川キリスト教病院に行く折にも上告人勝は同行せず平素と同じく店を開いていたのか。

真実退院後にビリルビン値が上昇したかどうかは後述するが、いずれにせよこれらの事実に基づけば、問診時までの上告人美鈴の認識においては、『黄疸は大過なく推移していた』というものであったことに間違いはない。

原判決のいう『黄疸の懸念』と『急激な黄疸上昇があるのに何も講じない』という事実は相矛盾する。少なくとも上告人美鈴の主観的認識においては、黄疸に関して劇的な変化はなかった、ということになるのである。かかる認識を有している者に対して、『黄疸はいつから悪化したか』という問いを発した場合、いかに数年後より記憶が鮮明であろうが、いかに伝えようと努力した筈であろうが、いかに本来的に黄疸を懸念していようが、そもそも同女の認識、回答能力に深甚な疑問のある本件においては、右の諸理由をもってしても当該箇所に関する問診記録の記述の正確性を認めることはできない筈である。

4 さらに、上告人は原審において、乙第二号証の正確性を検討するにあたり重要な事実として以下の事実を指摘している(詳細は原審における控訴人第九回準備書面第二以降参照)。

〈1〉 乙第二号証の記載内容を仔細に分析すれば、原判決が言うほど、原判決の認定事実を導きうるものではない。

すなわち、乙第二号証の一と四とでは、作成者・作成時間ともに異なり、安易に一括して読むことは誤っている。

また両者において、記載内容に微妙な齟齬が存するのみならず、少なくとも『被上告人医院退院時において一旦快方に向かった』という最も大切な経緯は、これを読み取ることができない。

〈2〉 また正確な筈の乙第二号証において、誤ろう筈もない客観的事実である日齢を誤っている事実。

これは上告人美鈴が問診時においていかに動転していたかを示すものである。

〈3〉 甲第一六号証の五三によると、上告人美鈴は、問診前の新患アンケートにおいて、出生直後から一貫して黄疸を懸念していたことが記されている。

さらに同アンケートの食欲欄には、食欲『普通』と記されている点からすると、上告人美鈴において来診時点でさほど重篤な症状にあると意識されていなかったことが認められる。そしてこのことは、何よりも原判決において決定的な証拠となった乙第二号証の四における『一〇月三日黄疸が増強し、飲みが悪く』という箇所の記述と矛盾するのである。

〈4〉 そもそも乙第二号証作成者である竹内鑑定人において、黄疸の症状経過の認定に際し、乙第二号証の記載を参考にしていない事実。

これらの諸点は、乙第二号証の検討において、無視することはできない事実であるのに、原判決はこれらを採用する・しない以前に、全くこれらについて触れられていないのである。

上告人は、単に意地で十数年も訴訟をしているわけではない。本訴は、上告人にとって文字どおり血を吐く思いでなされた訴である。その訴えに対し、原審のごとく理由とも言えぬ一片の文言で納得せよというのは理不尽極まる。原判決は、法が判決に理由を付せとした趣旨を完全に没却しているものと言わざるを得ない。

第四鑑定意見について

一 鑑定書の二つのスタンス

1 本訴では、裁判所鑑定が三件、私的鑑定が一件(加部鑑定)行われている。本訴のような高度な専門知識に基づいて要件事実の認定を行わねばならない医療過誤訴訟においては、鑑定意見の持つ意義は重要である。しかし、訴訟当事者は法的には知識があっても医学的には素人であるのと同じように、鑑定人も医学的識見は有していても、法律的争点に関して細かなニュアンスも含め適切にこれを把握するのは難しいと言われる。そのため、時として審理の焦点が医学的所見から外れてしまったり、鑑定意見が審理と微妙にずれてしまうことも珍しくない。

2 本訴においては、合計四通の鑑定書があるわけであるが、これらはスタンスとして二つに類別しうる。

すなわち、乙第二号証の記載(退院後数日して黄疸が悪化したということ)を鑑定の無条件の前提にしているものと、そうでないものである。前者は四家鑑定と中村鑑定であり、後者は竹内鑑定と加部鑑定である。そして前者は本件核黄疸は感染によるものと結論づけるのに対して、後者は感染以外の漸次増悪論をとるという点で、非常に対照的である。

二 四家・中村鑑定の推論過程

1 右でみたように鑑定のスタンスが分かれ、結論の異同にまで及んでいるのであるが、これには相応の理由がある。すなわち、黄疸の症状経緯を認定するために行っていた筈の鑑定依頼が、すでに鑑定の前提に特定の症状経緯が組み込まれてしまっているからである。

2 ところで、すでに種々述べたように乙第二号証の信用性については大いに論議のあるところであるが、訴訟における事実認定に関する実践的識見について乏しいと思われる各鑑定人に対して、当該書証の証明力を論ぜよというのは元来無理な注文である。したがって、加部鑑定以外の鑑定は乙第二号証の位置付けを曖昧にし、その信用性の評価の問題を鑑定人に委ねて鑑定依頼をしていることから、本来の鑑定の主旨と若干のずれが存するし、また結論の違いになって現れてきているのである。すなわち、本訴における本来的な鑑定の主旨は、『上告人修代の核黄疸の原因並びに経緯はどうであったか』ということだけであった筈であるが、四家鑑定・中村鑑定の主旨は、いつしか『退院後数日して急激に黄疸が増悪して、このような事態に達することは医学的に説明がつくのか』という課題に変容してしまっている。そしてその結論は、『そういうこともないわけではない』という形で結ばれるのである。

3 ところで右推論過程を検討すると、まずはじめに『退院後の急激な黄疸の増悪』という前提が置かれている。このことは、『変化の急激性』ということを意味する。何らかの理由がなければ急激に変化したりする筈がない。そうなると後は素人が考えても分かるように、『何らかの外部的要因があったであろう』という推論になり、突然の変容を生じさせるに足る現象といえば、その原因は感染であるという結論までの一本の道筋が描かれるのである。

4 なお、一点補足すると、乙第二号証の問診記録にはこの『黄疸の急激な増悪』などという記載はどこにもない。『黄疸が心配になりはじめ』『黄疸が増強し』としか書かれていないのであり、『急激に』という表現は存在しない。存在しないにもかかわらず何故か本訴においては『急激な増悪』という形で論議されているのは、証拠よりも先にストーリーが先走っているからである。

『一〇月八日時点でかなり重症黄疸になっている』『退院後状況が変わった』という二点から、『その状況変化は急激であった筈だ』という具合に後から勝手に創作した事実であって、実はこれを直接的に裏づけるような証拠はないのである。このことからしても、いかに無意識的に結論に引っ張られているかが理解されよう。

三 竹内鑑定のスタンス

1 ところでここで注目すべきは、加部鑑定ではなく竹内鑑定である。

なぜなら、竹内鑑定人は、問題となっている乙第二号証の作成者本人であるが、作成者自身が乙第二号証を前提にせず(無論考慮の範囲には当然入ってきているが)、他の要因-ビリルビン値や未熟性などを検討して、感染の可能性を否定しているのである。竹内鑑定人は、なぜ他の鑑定人のように乙第二号証を所与の前提とはしなかったのであろうか。『退院後数日して黄疸が増強した』という上告人美鈴の回答を自身の体験としておりながらも、それに依拠していない点こそ注目に値するのである。

2 それは、他の客観的証拠-間接ビリルビン値の優位性などと重ね合わせて総合的に判断していこうという、事実に対する科学的なアプローチを保とうとする姿勢の故である。つまり、まず母親がどう言おうが、ビリルビン値や未熟性などの要因から考えると、確率の問題として感染の可能性は非常に少ないと考える。これは、自身上告人修代の治療にあたり、緻密に患児を診察しつつ、本件核黄疸の原因については「解釈できなかった』と述べている(一審における竹内鑑定人の尋問調書四〇丁表)点と無関係ではない。仮に、退院後数日して黄疸が増悪したのが事実だとしても、だからといって感染だという単純な推論では解明できないというスタンスに立っているからである。竹内鑑定をいま一度検討してみると、乙第二号証の問診の記載について、これに依拠するものではない反面、ことさらに排斥しているものでもないことがわかるのである。要するに他の客観的数値など重要な手がかりが存在するなかで、ごく自然にそれほどの重みを置かなくなってきているのである。

3 これに対して、四家・中村鑑定の場合は、まず最初に問診記録ありきであり、退院後数日して急激に悪化した理由は何か? という問題の立て方になり、感染であると置いたうえで、他の医学所見はこれに整合するか? という反論的仮説証明に移行してしまうのである。

個々の医学的推論については次節で論ずるが、感染だと置いた場合には、これと矛盾する所見について整合させるべき医学的説明が必要となる。すなわち、間接ビリルビン優位、血液像の変動のないこと、数日で高いビリルビン値に達しているほどの重症感染という諸点について、感染説はまったく破綻することはないにせよ、相当程度その可能性は減少する筈である。竹内鑑定は、まさにこの点から出発し、フラットに医学的推論を始めているのであるが、右四家・中村鑑定においては、これらの矛盾する所見について『ないことはない』という形で説明を試みるのである。

4 しかし、これらの医学的に矛盾する各所見を、『ないとは言えない』という苦しい説明をしてまで駆逐しなくてはならないほどに乙第二号証の問診記録というのは信頼できるのであろうか。この点、中村鑑定人の場合、非常に正直で、『最初にこのカルテを読んでしまいましたから』と述べている(同人の尋問調書四八丁裏、四五丁表)。要するに本件各鑑定は、医学専門家に対し書証の信用性という困難な法的な問題点も含めて判断を委ねてしまったという点が、各鑑定のスタンスの乱れになって現れてくるのである。

四 加部鑑定

1 原判決は加部鑑定を採用してはいない。その理由は単純明解である。

『前記認定の控訴人修代の症状経過を無視するものであって、前提事実を異にする判断であって到底採用することができない(原判決六丁表六行目以降)』『前記控訴人修代の症状経過に鑑み、右甲号証の記載は採用することができない(七丁表一〇行目)』ということである。

右判断は非常に分かりやすい。逆に言えば誤謬を犯しているということが良くわかるのである。元来、原判決のいう『前提事実』を推知する資料として各鑑定があるのではないのか。

2 原判決の所論は要するに、『退院後数日を経て黄疸が増悪した』という前提に立っていないから、実態に即応しない鑑定であり、採用の限りではないということであろう。

しかしそれならば、同じ理由で竹内鑑定も一蹴すべきである。すでに述べたように、竹内鑑定も退院後数日して増悪という前提に立っていないからである。

もともと、加部鑑定も竹内鑑定と同じスタンスに立つものである。加部医師に意見を求める際にも乙第二号証について敢えて秘匿したわけでもないし、一括して資料としてお渡ししている。ただし、前述の書証採証という法的論点と医学的知見とが得てして混乱しがちであるから、あらかじめ問題点を指摘していただけのことである。

3 こうなると、結局話は再び乙第二号証の信用性という問題に回帰していってしまうのであるが、原判決においては、何にも増して乙第二号証の信用性というものが群を抜いて重く、高い。揺るがぬものとして置かれている。『他の医学所見と矛盾する点もあるので、同書証について慎重に見よう』という視点など皆無といって良い。

いったいそれほどまでに原判決が乙第二号証に準拠するのはなぜだろう。中村鑑定人のように採証実務とは関係のない医療関係者が乙第二号証に準拠するのと、裁判所が準拠するのとでは、話はおのずと別である。

そして、ではなぜそれほどまでに原裁判所は同書証を信用するのかというと、既に述べたようにその理由は甚だ薄弱であり、慎重に検討した痕跡を見いだすことができない。

これは単なる事実認定の誤りではない。『本当に裁判をしたのだろうか』という深刻な疑問にかられるのであり、原判決の理由不備・審理不尽が端的に示されているのである。

第五黄疸の経緯と感染論

一 二つの論点

1 上告人修代の核黄疸の原因とその経緯を論ずる場合注意すべきは、二つの論点があるということである。すなわち、

〈1〉 被上告人医院退院時における上告人修代の黄疸の状況と経過

〈2〉 一〇月八日の核黄疸に至る経緯として、退院後感染によって急激に黄疸が増強したのか、それとも漸次増強していったのか

の二つの論点があるが、もっぱら〈2〉の論点において議論がなされていた。しかし、本訴の債務不履行の認定にあたっては、より重要な論点は〈1〉である。つまり被上告人の債務不履行というのは、退院時までに黄疸について何らかの措置を講ずべきではなかったか、あるいは退院させてしまって良かったのか、である。

ところがともすれば議論が〈2〉の方向に傾斜しがちであったのは、これも乙第二号証の故であろう。なぜなら『退院後数日して黄疸が増強した』という記載に引っ張られ、『それが本件の原因なのか』『その原因は何か』という問題の立て方に結びついていってしまったからである。

2 しかし、仮に退院後数日して黄疸が増強したという事実を認めたとしても、それが本件核黄疸の直接的な原因ないしは発症時期であるかどうかはわからない。既に退院時に生理的黄疸を越えた状況にありつつ、さらに悪化した可能性も考えられるのである。逆に言えば、退院後数日して悪化したとしても、悪化する以前(退院時)が全くの健常体であったかどうかまでは語ってはくれないのである。既に指摘したが、退院後の黄疸の増悪が『急激』かどうかは、実は乙第二号証においても示されてはいない。それを『急激』という表現を用いるということは、当該増悪時以前においては健康状態であったという点も認定して初めてでてくる表現であり、気づかずに推論の架橋を渡ることを意味する。

3 もっと言えば、そのような認定のもとにおいては、退院時から退院後にかけて上告人修代の黄疸は日々軽快していたことになり(他の黄疸増強理由を排斥するのであるから、快方に向かっていなければならない筈である)、症状悪化の時点というのは、それまで上昇カーブを描いていたものが、ある日を境に突如逆方向に下降していくことを意味する。これは『それまでも悪かったが一層悪くなった』というのではなく、『良くなりつつあったものが一転して悪化した』という方向転換を意味することになるのである。

このようなベクトルの転換がありつつ、あれほど黄疸を心配していた上告人美鈴がこれを放置していたというのも、認定として不自然極まるのであるが、原判決の論理を前提にすれば、そういうことになろう。原判決は上告人修代が黄疸を懸念していたから黄疸の経過は良く見ていた筈であり乙第二号証の問診結果は信頼できるというのであるが、このような劇的な変化を目の当たりにしながらも、なおも気づかず放置していたような人間の観察眼や回答をそこまで信用すること自体、大きな矛盾である。

二 感染説は本当に成り立ち得るのか

1 本書冒頭に指摘したように、原判決は、本件核黄疸の主たる原因は感染である旨論じ、この点が一審判決と異なる点である。上告人としては、結論には当然のことながら異論はあるものの、一審判決のように結局不可知論に逃げ込んでいない点は評価したい。

しかし、このような感染説に対しては、従前から次のような疑問点が提出されている。以下順次指摘する。

2 感染だとするならば、何の感染なのか?

あたり前のことだが、およそ漠然とした感染などありえない。それは単に『病気になった』という程度に医学的には無意味な説明ではないのか。そもそも感染という医学用語が飛びかっているのだが、感染の正確な医学上の定義は余り顧みられてこなかった。

感染という以上、何らかの疾病を惹起させうる細菌やウイルスの侵入により生体の変調があったのであろうが、それがいったい何なのか、エンテロウイルスなどの断片的単語は出てくるのだが、結局のところ全く分からずじまいである。

いやしくも感染が本件核黄疸の原因であるとする以上、何の感染なのか全く分からないというのは釈然としない。また医学的に特定しようがないというなら未だ分からぬでもないが、どうして分からないのか、分かろうと努めたのか、その点も分明ではない。

結局、『感染』という言葉が、十分に消化されることのないままマジックワードとしてひとり歩きをしているといえる。

3 感染の本来の諸症状はどうなったのか?

次に右疑問をさらに発展させた問題であるが、感染に罹患したとするならその感染が惹起させるべき本来的な症状はどうなったのか。風疹であれ、肺炎であれ、感染すれば本来の諸症状が発症するか、何らかの痕跡が医学的所見として残る筈である。ところが、それらについては全くといって良いほどに述べられていない。これは素朴に考えておかしいではないか。

もっとも、淀川キリスト教病院で行った交換輸血の措置が同時に感染の治療になり得るという一般的説明もありうるであろう。しかし単に血を交換しただけで全ての痕跡を完全に失わせるものではない筈であるし、少くとも交換輸血施行前の所見にはあらわれよう。

4 淀川キリスト教病院での初診時の所見

一〇月八日、淀川キリスト教病院での検査数値をみても白血球数に変動はないし、感染を示す所見は一切存在しない。

この点については、いわゆる白血球数の増加等血液像の変動を伴わぬ不顕性感染(サイレントな感染)の指摘がある。この説明も確率としてそれほど頻繁にありうるのかどうかにつき多大の疑問があるのであるが、仮にサイレントな感染であったとしても、前記1、2の疑問、病名や他の所見の疑問は何ら解決されていない。白血球数に変動を伴わない感染はあったとしても、人体の諸症状に全く何の変動も伴わない感染など観念できよう筈もないではないか。

1~4を通じて言えることは、本件核黄疸の原因として感染が考えられるとしても、その実体は全く分からないのである。分からないというより追求されていない。どう考えても多少輪郭程度はつかめても良い筈である。結局この感染は、本件核黄疸を惹起させるためだけに突如発生して、黄疸を増悪させるや姿も見せずに去っていったようである。逆に言えば、本訴で論じられている感染は『説明概念』以上のものではなく、実体が何もないのである。

5 間接ビリルビン値との矛盾

既に指摘しているが、竹内鑑定は、本件では間接ビリルビン値が高いので、感染の可能性は否定できる旨述べられている。

そしてこの点に対する感染説の釈明は、とたんに歯切れが悪くなる。四家鑑定人の尋問においても結局のところ、感染症によって間接ビリルビン値が本件のように上昇するのは『極めて稀』と明言されている。これが一審判決になると『極めて稀ではあるがありうる』という表現で採用されているのである(一審判決二一丁裏)。そして原判決になると、この点については触れられてすらいない。

何故、このような『極めてまれ』というような事態の認定を敢えてせねばならないのか。上告人らからすれば、このような理不尽な認定を裁判所が行うということは、医師の免責のためには、どんなに可能性が薄くても何らかの弁解があれば取り上げていこうとするアンフェアな姿勢に映ってしまっても止むを得ないし、そう批判されても仕方がないではないか。

6 総ビリルビン値三四・一という激しい黄疸を惹起するほどの威力をもった重症感染があったとは考えにくいとの加部鑑定意見について、原判決は、『中村肇の証言によると、軽度の感染でも他の黄疸増強因子との関連のもとに核黄疸の要因になることが認められる」という点を理由に採用してはいない。

要するに軽い感染であっても重症黄疸になることはあるという論旨なのだが、ここで原判決が指摘している『他の黄疸増強因子』というのは具体的には何を意味するのであろうか。哺乳力低下や脱水については、もともと感染がその基礎原因となって生じるものであるから、ここで『他の黄疸増強因子との関連のもと』という文脈には当てはまらない。では具体的には何なのだろうか。それも明らかにされてはおらない。

思うに原判決が指摘する中村鑑定人の証言は、一般論としてのそれを言っているに過ぎない。

加部医師の意見は、『重症黄疸を惹起させるに足りる感染はどちらかと言えば重症感染症に見られる所見』と一般論を述べ、そのうえで本件事例について当てはめを行っているのである。つまり一般論の部分では、必ず重症黄疸に限るなどという言い方はしておらない。ただ比率の問題として重症感染症の場合の方が高いと言っているのであって、その意味では中村鑑定人の証言と別に矛盾はしないのである。そして、本件の一連の経緯を総合して、そのような比率の低い感染を考えるよりは漸次増強を考えた方が無理が少ないと述べているのである。

要するに、原判決の所論は、中村鑑定人の証言を引用して加部鑑定を排斥しているが、これは子細に見るまでもなく排斥の理由にはなりえないのである。

7 以上の諸点を通観して分かることは、本件核黄疸の原因として論じられている感染は、その実体が十分に解明されていないのみならず、感染を否定する各所見に対して十分な説明が加えられていないということである。わけても、間接ビリルビン値との矛盾などの諸点については、殆ど検討以前の段階でとどまっており、真剣に検討したのかどうかについてさえ疑われるような状態である。

三 上告人の主張-漸次増強論

1 さて右に述べたように、原判決のいう感染論はその実質的根拠は非常に乏しいのであるが、仮に感染が生じこれが原因で核黄疸になったとしても、より本質的な問題である『上告人医院退院時において黄疸はいかなる状態であったのか』という点については、また新たに考えなくてはならない。

2 ところが、この点に関する原判決の立場は非常に単純である。

『生後一〇日目(九月三〇日)の退院時に存在していた遷延性黄疸が遷延している(未熟児では黄疸が遷延することが少なくない)ところに、退院後の重複する黄疸増強因子すなわち感染、哺乳力低下、脱水が加わり生じたもの(脱水がくる位哺乳力低下を来すには感染症がその基礎となっていることが大半である。)と考えるのが妥当であると認められ、これらと前記認定の控訴人修代の症状経過に照らせば、控訴人修代の黄疸は、被控訴人病院退院時において、既に生理的黄疸の域を越えていたとは認められず、一〇月三日ころから感染症(感染時期を特定し得るに足りる証拠はない)を基礎疾患とする哺乳力低下、脱水が発現し黄疸が急速に増強し核黄疸になったということができる(原判決六丁裏五行目以降)』との認定をなしている。

右引用文中の棒線部分が、感染という問題と退院時の黄疸の状況という問題を結びつける記述部分になるのであるが、結局のところ『退院後数日して悪化した-それまでは健常体であった』という論理が無批判のままひとつのセットとなって観念されていることが分かるのである。

なお、原判決指摘の『控訴人修代の症状経過』のなかには黄疸の発生以外の『食思良好』云々の記載も考慮の対象になっているのであろうが、当該記載についても既に述べたように、事前アンケート『食欲・普通』と記載されているのであり、同じく多くの信用を与えるわけにはいかない。

そして、原判決は、右に述べた以上に、退院時の黄疸が遷延していたとして、回復に向かっていたのか、横這状態であったのかについては語っていないのである(おそらくは横這状態としての認定であると思われる)。

3 ところで上告人の主張は一貫して黄疸の漸次増強論である。

無論、当初の新生児溶血性疾患がそのまま高いビリルビン値をもって遷延し続けており、その他に原因はないという主張をしているのではない。上告人の説く原因論はもっと複合的なものである。

すなわち、上告人修代においては、出生から次のような黄疸増強因子を抱えていた。

〈1〉 吸引分娩(半ば仮死状態)

〈2〉 未熟児あるいはSFD

〈3〉 血液型不適合

そして生理的黄疸と核黄疸とは全く別個の症状ではないことに注意を払わねばならない。黄疸が発生しているという意味では両者は同じであり、要するに程度の差である。

新生児は何ゆえ黄疸になるかといえば、血中のヘモグロビン崩壊時に発生するビリルビンが肝臓で処理されるのであるが、新生児は肝機能が未熟であるため十分にビリルビンを処理できず、累積していったビリルビンが黄疸-皮膚の黄染を生じさせるという機序に基づく。そして、新生児ゆえの肝機能の未熟に基づく黄疸を生理的黄疸と称しているわけであるが、右〈1〉〈2〉の要因は、肝機能をさらに低下させビリルビンの処理量を減少させることにより黄疸の増悪を招く。〈3〉は、母子の抗原抗体反応により溶血を増加させ、多量のビリルビンを発生させ黄疸に至らしめるわけである。

これらの機序は比喩的に言えば、事務処理遅滞による体系破綻であり、新生児といういわば立ち上がりの事務処理能力欠如に加えて、他の遅滞要因によって一層遅滞に陥るかどうかということである。この場合、典型的な新生児溶血性疾患のように最初から莫大な仕事量(溶血によるビリルビンの大量発生)が生じてすぐに破綻するケースもあれば、日々少しづつ滞納が累積していく場合もある。上告人は、この後者の場合を主張しているのである。

4 この考えは中村鑑定人においてもビリルビンのターンオーバーが悪く徐々にビリルビン値が高くなっていく場合として把握され、ありうることと証言され(尋問調書一〇丁表)、加部鑑定においてもまさにその所見を述べられている。

そして右立論は感染を排除するものではなく、これらの機序に加えて感染も複合的に生じ黄疸の増強を加速したという場合も十分に考えられることである。

結局感染論と漸次増強論とを比べてみると、前者の根拠は畢竟乙第二号証の記載しかなく、他に同論を援護すべき医学的所見は皆無に等しい。それどころか、感染と相反する医学的所見は多々あるのである。これに対し、感染説は『極めてまれではあるがありうる』と苦しい説明に走り、あるいは黙して語らぬなどの態度に終始しているのである。反面、漸次増強論においては、これを正面から粉砕する医学的反論や所見は実は一つも存在しない。要するに種々医学的論争をやってそうに見えながら、その実体はここでも乙第二号証の問診記録の枠に終始囚われ続けているだけのことなのである。

5 また、竹内鑑定人が『本件は非常に珍しいケースで良く覚えている』と述べている点を想起されたい(尋問調書三二丁裏)。感染に罹患して黄疸が急激に悪化したというだけでは『非常に珍しい』ということにはならないであろうし、実際にも竹内鑑定人はそんなことは言っていない(第一、前述のごとく感染の可能性を否定しているのである)。では何が珍しかったのかというと、ここまで高いビリルビン値で遷延していたということである。本件は、小児科専門医として多くの症例を経験している竹内医師をして、数年隔ててもその記憶に焼きつかせた事例なのである。竹内鑑定人自身、『本件核黄疸の原因はつかめたが解釈はできなかった』と述べているが、ここでいう原因とは脱水や血液濃縮や高いビリルビン値ということで、感染や溶血などの原因ではない。結果として何故核黄疸になったのかといえばビリルビン値が高くなったためであるが、では何故ビリルビン値が高くなったのかというと良く分からない、解釈できない、その点が珍しいという意味であろう。実際に上告人修代の主治医として治療にあたった医師の発言は、傾聴に値する。この証言からただちに上告人の主張の正当性を短兵急に導くことは控えるにしても、単純に数日前に感染によって核黄疸になったということではなく、もっと複雑な機序が入り組んでいるであろうということを示唆するものとして、真実発見のために貴重なものである。

四 問題の本質

1 さてここで最も基本的な問題に立ち返りたい。すなわち、被上告人医院退院時において、被上告人はいかになすべきであったかという債務不履行の本体論である。

本件で、被上告人が上告人修代を退院させても過誤がない-実験上の最善の注意義務を果たしたと言えるのは、入院中に生じた上告人修代の黄疸が明らかに快方に向かっていた場合に限られよう。本件では果たしてそうなのだろうか。

2 原判決は前記引用のごとく、『退院時に遷延性黄疸が遷延している(未熟児では黄疸が遷延することは少なくない)』と述べている。なるほど未熟児ゆえに黄疸が遷延することはままあることであるが、その状態が医学的に通常の健全発育の場合と同程度の健常性を示すものではない。それどころか、未熟児の場合は前述のように肝機能が通常以上に未熟なため、当該黄疸が生理的黄疸と言って良いかどうかがそもそも問題なのである。

3 被上告人は、血液型判定を過ったため、退院時において認識していないが、上告人修代には血液型不適合という黄疸増強のリスクがあった。もとより退院時において溶血のみを原因としてこれ以上新たに黄疸を増強させる可能性は少ないとしても、既に初期の時点で軽度の溶血による生理的機序によらざるビリルビンの上昇があったかもしれないのである。つまり退院時の黄疸は、溶血を一つの寄与原因としていたとの可能性は厳然としてあるのである。これに本来的に肝機能が未熟な未熟児であることを重ね合わせて考えれば、ある程度に黄疸が快方に向かっていることをもっと明確に確認すべきであったとすることは決して過酷な要求ではないはずである。ましてや未熟児は肌の色からして十分に黄疸の判別がつきにくく、また核黄疸の第一期症状は非特異的なものである故に、単なる肉眼的観察や全身状態という所見だけではいかにも心もとない。専門医への対審を求めるか、せめてビリルビン値を経時的に測定しておけば足りることである。

上告人の主張のごとく、漸次増強論に立つならば既に被上告人医院入院時よりこれらの機序は進行していたのであり、これを看過した被上告人の注意義務違反は明らかなものとなる。

第六説明義務違反

一 本件核黄疸はどうすれば防止しえたか。

1 上告人修代は不可抗力によって核黄疸に罹患し不可逆的な脳性麻痺になったものではない。出生よりいずれかの時点で、その兆候に気づき適切な治療行為を行っておれば、本件のような重篤な症状に至らずに済んだのである。では、被上告人や上告人勝・美鈴がついていながら、何ゆえかかる事態に立ち至ったのであろうか。

2 ここで九月三〇日までの被上告人医院入院中に本件核黄疸の兆候が生じていたなら(上告人としてはあくまでこの主張を本義とするが)、被上告人の過誤であることは明らかである。

しかし、退院時においてなお生理的黄疸の域にあったとしても、退院後に上告人修代を観護する立場にある上告人勝・美鈴に対して適切な指示説明を加え、核黄疸の重篤化を未然に防ぐべき義務を被上告人は負うのである。これがすなわち説明義務である。

二 二つの説明義務違反

一審判決・原判決はいずれも被上告人の説明義務違反はない旨論じているが、本件においては説明義務につき二つのレベルの問題が議論されている。

〈1〉 一般的な退院時の説明義務の内容

〈2〉 誤った説明が上告人らの注意能力を低下させたという点

これら二つの観点から、本件説明義務違反は吟味されねばならない。

三 一般的説明義務

1 この点について、一審判決は、『新生児特に未熟児の場合は核黄疸に限らず様々な致命的な疾患に侵される危険を常に有しており、それら全部につき専門的な知識を両親に与えるのは不可能であるが、新生児がそれらの疾患に罹患すれば普通食欲の不振などが現れ全身状態が悪くなるのであるから、退院時には新生児の全身状態に注意し何かあれば来院するか他の医師の診察を受けるように指導すれば一応の注意義務は果たしたことになると認められる(一審判決二四丁表九行目以降)』と述べている。

2 右所論を分析すると、一般状態も良く具体的に特定の疾患を懸念するような状況にないことを大前提として、その上で、『およそあらゆる疾患の危険を専門的に告知することは不可能である』ことと『いずれにせよ異常があれば全身状態に生じる』ことの二つの命題から、全身状態に注意して何かあれば医者に診せろという程度の説明で良いということである。

3 これに対しては、まず退院時に全く健康状態に懸念のない通常の新生児と同様に考えているという大前提が批判されねばならない。前提となる黄疸の経緯については既述箇所を参照されたいが、入院中に生じた黄疸が遷延していたこと、少なくとも完全に消失してはいなかったことに争いはない。

この黄疸が生理的黄疸の範囲にとどまっていたか否かが大きな問題であるが、仮にとどまっていたとしても、未熟児等のリスクを前提として勘案すれば、全くの一般的健常体と同視することは極めて疑問である。客観的な問題として、数ある新生児のリスクについて、いずれとも等距離にあったとすることは出来ない筈である。

4 次に『あらゆる危険性を説明することは不可能である』という命題であるが、これはなるほど当然の話である。しかし問題のはぐらかしでもある。退院時の説明というのは、何も医学部の講義をするわけではないのであるから、その時点においてもっとも懸念される疾患について特徴的な点を述べれば良いのである。前述のごとく、客観的な問題として新生児の全ての疾患から等距離にあったわけではなく、さらに上告人美鈴が一貫して黄疸を憂慮していたという経験を併せ鑑みれば、未熟児の遷延性黄疸が最もクローズアップされるべき疾患であることは明らかである。

5 さらに『全身状態に注意して何かあったら医師に診せよ』という点についてであるが、まず第一に、およそ全ての人は身体に変調があれば医師の診察を仰ぐのであるから、このようなことは至極あたり前のことに過ぎず、告げられようが告げられまいが差異がない。かかる説明で足りるというなら、別に告げなくてもよいと言っているに等しい。

右に見たように、未熟児なり黄疸なりがその時点で一つの課題になっているのであるから、その点について言及すべきであった。たとえば、『未熟児(あるいはSFD)であるから、特に注意せよ。』という一般的なことに加えて、黄疸に関してはこう言えば良いのである。例えば『赤ちゃんの白目に注意しなさい』と。黄疸の黄染は新生児の肌の色が様々であることから一様に論じがたい。そこで確実な所見として白目の部分が黄濁していくかどうかが分かりやすい兆候として言われているのである。

6 なお、ABO不適合に関してであるが、不適合によって核黄疸になるのが低率であるから、その誤診をもって説明義務に影響を与えないと判決は述べる。しかし、これは識見不足である。

なぜなら、退院後においてABO不適合の故をもって新たに黄疸を増加させはしないが、最初からそれが分かっておれば、軽度な溶血によってビリルビンのターンオーバーが悪くなって徐々に黄疸が悪化潜行していることも当然考慮すべきであるからである。

四 注意力低下

1 次に被上告人は、上告人美鈴らに適切な指示説明を怠っただけではなく、より積極的に同人らの注意力・観察力を低下させていたことが問擬されねばならない。

すなわち、被上告人は、入院中より、わが子の黄疸の懸念を訴える上告人美鈴に対して、終始心配はいらない旨説明をし続けていた。その状況もおよそ懇切丁寧な説明とは言いがたく、質問自体をうるさがるようなものであった。そして、何故心配するには及ばないかの論拠として、

〈1〉 血液型が合致している

〈2〉 未熟児だから四〇日程度黄疸は残る

を挙げていた。

2 この点については、原審の控訴人第一〇回準備書面四一頁以降において論じたところであるが、右二点の論拠は、上告人美鈴にとって更なる訴えを封ずるに十分なものであった。

上告人美鈴においては、原判決も認定しているように、母子手帳の記載によって、血液型不適合によって黄疸に至るという事実を知っていた。だからこそ血液型検査を施行するように懇願していたのである。逆に言えば、上告人美鈴にとって、黄疸の危険と血液型不適合は同じ意味をもっていたのである(血液型不適合以外の機序に基づく黄疸のリスクについては知らなかった)。そこに、『血液型不適合はない』という誤った事実を告げられれば、それだけでも上告人美鈴の黄疸への懸念は相当程度薄らがざるをえない。

3 しかし、それでも上告人美鈴は、上告人修代の黄疸の懸念を払拭できたわけではない。現実に上告人修代の黄疸は遷延していたからである。しかし、さらに被上告人は追い討ちをかけるように、『未熟児だから黄疸は残る』『未熟児というのはそういうものだ』という説明を加える。確かに未熟児の場合、一般の新生児以上に肝機能が未熟であるから、黄疸は遷延しやすい。しかし、だから大丈夫なのではなく、だからこそより一層注意する必要があるのである。甲第一二号証によれば、『未熟児診療では黄疸の占めるウエイトは大きく、その管理は重大である』『成熟児で認められる各黄疸の定型的症状を呈さないばかりか、黄疸の指標である血清ビリルビン濃度が低値にもかかわらず核黄疸を認めることができる』(同号証一六二頁)となっており、到底『未熟児だから大丈夫』などと言えるようなものではない。常識で考えても、未熟児の場合、『未熟児だからこそ黄疸の経過にはよく注意するように』『成熟児以上に赤ちゃんの容態に注意を払うように』とつながるのが当然であって、被上告人の当該説明は、説明義務を尽くさなかったという不作為どころか、積極的に誤導しているものである。

4 しかもこれらの説明を、被上告人は一度ならずも入院中再三にわたって行っている。

その結果どうなったかといえば、上告人勝・美鈴において、一〇月八日まで上告人修代の診察を遅らせてしまったのである。

ところで、一〇月八日に淀川キリスト教病院に赴いたのは、種々の偶然の結果としてそうなっただけのことで、あまりの黄疸の重篤化にさすがに診察に行ったというわけではない点、注意を要する。

近所の医師が時計の修理のため上告人の店舗に訪れる。これも偶然である。そのとき上告人美鈴が余談として上告人修代の黄疸の懸念を持ち出す。本当にせっぱ詰まっておれば、その場で診てもらったであろうし、またそうであれば医師もより詳しく容態を聞こうとしたであろう。しかし、その場では、淀川キリスト教病院を教えてもらうに止まる。いかに差し迫ったものとして把握されていなかったかの証左である。この場で新生児医療の設備の整った同病院を教示されたことは幸運であった。通常の施設のところに診察にいってもこれほど迅速な対処は望めない可能性が高かったからである。

しかし、右病院に行ったのはそれから数日後である。上告人勝は、他の病院に診察に行くのは被上告人への裏切りのように感じ反対して、現実に同行してはいない。同病院に行ったのは、上告人美鈴の心配症ともいえる過敏な神経とわが子への愛情の故である。

5 ともかく、上告人修代は一〇月八日に淀川キリスト教病院にて迅速かつ適切な交換輸血の措置を受け、かろうじて一命だけはとりとめることができたのであるが、右に述べた偶然が積み重ならなかったら、まず間違いなく生後一か月も経過しないうちに上告人修代は死亡していたであろう。

逆に言えば、一命を取り止めることにつき、被上告人は全く何の寄与もしていない。終始一貫ブレーキをかけ続けていただけである。だいたいたまたま訪れた医師に相談するくらいなら、また淀川キリスト教病院に行くくらいなら、被上告人のもとに診察に行けば良いのである。それを阻んだのは、上告人美鈴の脳裏に浮かぶ、被上告人の怒ったような面倒臭そうな顔である。

これは説明義務違反にとどまらない。被上告人は入院中より、誤った前提での所見、誤った楽観主義を押しつけることにより上告人らの注意力・観察力を奪った。のみならず、上告人らの行動力をも奪ったのである。上告人らが、被上告人の呪縛から逃れるためには、近所の医師の出現、淀川キリスト教病院の教示、上告人美鈴の心配症という多くの偶然に頼らざるを得なかったのである。

本件結果に対する被上告人の寄与は重大なものと言わなくてはならない。

五 原判決の判断

1 上告人の主張に対し、原判決は一審判決に付加して所論を述べる。

すなわち一審判決と原判決を通読すると、『しかし、この可能性がどの程度確実なものかの点について原告らに有利な、かつ十分な立証のない本件においては(一〇月三日ないし四日以降八日までの間に淀川キリスト教病院で受診していれば、当然に控訴人修代が現症状の発症を免れていたと認め得る証拠はない。かえって、前認定によれば、重症黄疸の発症は既に四日の時点であるとも考えられる)、それも一つの可能性に止まるというほかはないのであって、結局前記説明の誤りと原告修代の現在の症状との間に因果関係を認めることはできないのである(一審判決二七丁裏二行目、原判決七丁裏一三行目)』ということである。

2 この所論は、極めて不当であるのみならず、その意味するところが全く分からない。何を言っているのか。

まず所論前半部分は、血液型判定を誤ったこととの関連でのみことを論じている点で既に失当である。血液型誤判定に尽きるものではないこと、既に詳述したとおりである。判決は、因果関係の問題に結びつけて論じているが、因果関係が一律ないと言い切る点、挙証責任の問題に関連させる点など批判点は種々あるが、何より因果の原因論の部分をことさらに貧弱にしてしまえば、必然的に結果との関連性も弱まるのであり、かような不当な論理操作性を指摘しなくてはならない。

3 次に原判決が付加した部分であるが、これが全く了解不能である。まず、どうして一〇月三日から一〇月八日という期間の制限をするのであろうか。

ことを秩序立てて考えてみるに、原判決は『(右期間内に)受診しておれば当然に発症を免れ得た証拠はない』とするのであるが、逆に九月三〇日の退院時に受診させておれば免れたというのであれば、そもそもその退院が不適当であった(発症防止のためには受診の必要性があった)ことを認めることになり、退院は不適当という結論になる。だとしたら、論理必然的に、受診させるべきは一〇月一日以降七日までということになる。この間に受診させておれば、本症状の発生を未然に防げた筈である。この点はよもや原判決も否定はすまい。これすらも否定するならば、結局いつの時点であっても上告人修代は助からない運命にあったのだということになる。換言すれば、生理的黄疸のまま退院しても、突如として重症黄疸が発症するやその瞬間に手遅れになるということであるが、このような奇妙な医学的所見は本件全記録のどこにもない。原判決がそういう核黄疸もあるという医学上の新説を提唱するならともかく、このような所論は到底是認できないし、証拠もない。第一、それほどまでに危険な核黄疸が予想されるのであれば、被上告人においてももっと退院に慎重になるべきであるし、説明もより入念になされなければならないことになるのであって、被上告人免責の論理足り得ない。

4 要するに、いずれかの時点で適切に対応すれば上告人修代は本件症状を免れ得たのである。そしてその期間は、原判決を前提にしても一〇月一日から一〇月七日までである。この期間に生理的黄疸から生命に重大な危険を伴う重症黄疸に至ったという認定を前提にする以上、右命題は当然の帰結である。だとすれば、その間、上告人らが受診に行かなかったのは如何なる原因に基づくのか、その場合被上告人における寄与はどの程度かという問題に進むのである。その間に、なにか適切な措置をすれば助かったのである。これら全体を見れば、もはや因果関係が存在するのは二義を許さぬ明白な事実である。『淀川キリスト教病院に受診していれば、当然に発症を免れていたと認め得る証拠はない』などというが、事がらを『退院後から』と正しく設定すれば、認め得る証拠ばかりであり、それ以外の認定をしようとするなら退院が不適当であったという上告人の主張の本義に至るのは論理則の示すところである。

5 さてここで、原判決は、一〇月三日ないし四日からという奇妙な期間を設定している。いったいこの期間に何の意味があるのか、どこから出てきたのか、おそらくは乙第二号証の黄疸悪化時点を意味するのであろうが、その期間を前提にしても、悪化した時点で受診すれば(それ以前は平穏且つ健康に推移していた)、当然に助かるではないか。それをさせなかったのは、被上告人の説明不足と誤導の故であるという上告人の主張に立ち返るだけである。

さらに『重症黄疸の発症は既に一〇月四日の時点』という認定は、何を言っているのであろうか。意味を通じさせようとするなら、『既に四日には手遅れになっている』という趣旨であろうか。だとすれば三日の時点で受診すれば良かったのであり、それを阻んだのは被上告人であるという主張になるだけである。しかし、原判決は、その四日の時点で黄疸が一転して悪化したという認定をしているのであるから、それまで順調に推移していたものが一瞬にして手遅れになるという、前述のとおり奇妙な学説を打ち樹てなければならない。第一、原判決は、本件核黄疸について、感染を背景に哺乳力低下と脱水という黄疸の機序を認定しているのであるから、当然一定の時間的経過のもとに悪化することになり、容態変化後受診させる暇もなく手遅れになった等ということは医学的にも言えないはずである。

要するに、原判決の所論は、どのように解釈しても矛盾を来すのであり、これ以上の『判決に影響を及ぼすべき理由齟齬』はない。

六 因果関係

1 さて、論を正しき方向に戻して進める。これら被上告人の説明と態度が、上告人修代の現症状にどれだけの因果関係をもたらしているかについて論ずる。

まず因果関係一般について現在の判例は、

『訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして、全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつそれで足りる(最高裁昭和五〇年一〇月二四日判決・民集二九巻九号一四一七頁)』としている。

2 本件では、被上告人の一連の説明と態度が、上告人美鈴らをして受診を遅らせるのに因果関係があったのかが問題となる。

これは既に縷々のべてきたとおり、若し被上告人において、血液型判定の誤り、未熟児を理由とする誤った楽観的説明、そして母親の訴えに真摯に対応することなく逆に畏怖感さえ与え萎縮させてしまったという態度さえなければ、このような結末に至らずに済んだ事は明白である。少なくとも上告人美鈴が、退院後被上告人医院に再度受診させずに淀川キリスト教病院に行っている事実、同病院に赴いたのも全くの偶然の産物である事実、当初より黄疸を懸念していた親が突如わが子の容態に関心を払わなくなる事などおよそありえないこと等の事実を総合すれば、前記判例のいう、『一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして、全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性の証明』は十二分になされていることは明らかである。

3 さらに上告人は寄与率に基づく割合的認定の主張もなしている。

すなわち、一定の結果に対する原因が複数考えられるとき、各原因についてその寄与の割合を認定して責任範囲を画定していく法理であり、これは既に種々の判例において認められている確定した解釈である。

上告人修代の受診が遅れた原因の全てが被上告人の責によるものという判断がなしえないとしても、最小限ゼロということはあり得ない。したがって、その割合を適切に認定して、判断を下すべきであるのに、原判決はこのような確定した判例上の解釈論を全く顧みようとしない。それどころか、上告人の指摘に対して、応答すらせず、ひたすら黙殺するのみである。その代わりに前述のような意味不明且つ破綻した論理で、控訴棄却という結論の塗固に励むのである。

これが理由不備・齟齬、法令違反、審理不尽の主張の所以であるが、それは既に裁判を受ける権利の侵害と言っても過言ではないのである。

第七司法的救済

一 医療過誤の患者は二度殺されるという。

一回目は事故そのものであり、二回目は判決である。

本訴における上告人もその例に漏れない。上告理由書は裁判に対する恨みつらみを吐露するものではないので深くは論じないが、何故に上告人が安くもないそれどころか理不尽なほど高額な訴訟費用(一〇〇万円を越える)を支払ってまで、本件上告をなしているのか、思いを巡らされたい。

二 上告人らは既に一三年も本件訴訟を遂行している。無論本訴で勝訴を治めても上告人修代の身体は戻ってはこない。いかほどかの金銭的利益もこれを埋め合わせるには遠く及ばない。医師個人に対する遺恨でもない。意地でもない。それらは全くゼロではないのであろうが、少なくとも本質ではない。

上告人らは真実を認めて貰いたいのである。

あれほどわが子を心配しながら、被上告人を信頼しながら、かく結果に陥ってしまったことを。あれほど黄疸を心配していた両親が、退院後数日して劇的に黄疸が悪化したにもかかわらず、これを見過ごす筈はないではないか。もともと子供の健康管理に比較的ルーズであったというなら看過の不注意はあることかもしれない。しかし本件においては、初期より黄疸を心配し、執拗なまでに被上告人に訴えていたことは一審・原審ともに認めているのである。このような両親が、退院するや手のひらを返したかのように一転してわが子の容態に無頓着になる筈がないではないか。こんなことは子供でも分かる理屈である。一三年も時間をかけて審理するような事がらではない。

しかしそれが受け入れられない。上告人らにとって裁判所は不思議なところである。上告人らは、これまで審理をして貰ったという気がしないのである。

それは結論が不利益であったということではなく、何故そのような結論になるのか、どうして裁判所はそう考えるのか、その理由が示されないのである。

三 上告人らの訴えを退けることは、その気になれば簡単なことであろう。独自の見解に過ぎないといい、あるいは全証拠を照らしても認めることができないと述べれば足りる。しかし、そんなものは法律家だけに通用する閉ざされた社会の方言に過ぎない。一方当事者の証言は採用するに足りないという形式論も裁判所の中でしか通用しない論理である。このような裁判は、国民一般にとっては何のことだが分からない。かくして国民の司法への信頼はまた薄らぐのである。

上告人にとって最も主張したいことは、結局のところ原判決も乙第二号証の表面上の証明力に準拠し、複雑な認定に分け入って事案を解明しよう、正義と公平を実現しようという姿勢が見られなかったことである。なぜなら原判決は上告人が提示したさまざまな問題点について余りにも答えなさ過ぎる。その度合いは、審理不尽などというレベルを越え裁判の拒否に等しいこと、既に論じたとおりである。

四 上告人修代は、『私は煙になりたい』と呟く。煙にすらなれないと嘆く。上告人勝・美鈴は、看病に疲労しながらも、資産をなげうち、ありとあらゆる治療を行なってきた。そしてこれからも行ない続ける。年令の順序からして、彼らの亡き後も、上告人修代は、この娘は、その生を全うせねばならない。かかる過酷な人生において、しかし、彼らは愛し、愛され、支えあって市井のなかで生きてゆく。これが本件の実体である。意地でもなく、金銭でもなく、彼らは本訴に臨んだ。その本意を是非とも汲み取っていただきたい。

その本意とは、『可哀想だから勝たせてくれ』ということではない。丁寧に事案を解明し、真実に肉薄して欲しいということである。当り前のことである。その当り前のことがなされないまま今日に至り、そして一三年の時の経過を隔てて、再度主張する。正義と公平という法の理念に則り、事案を克明に検証し、適切妥当な結論を導くことこそ司法的救済である。司法の本質である。

それは決して事務処理ではない。事務処理であってはならない。書きやすい判決のために、意図的に証拠を取捨選択し、一定のストーリーを固めることではない。そんなことをしてもらうために国民はその主権を付託し、裁判所に司法権という権力を与えているのではない。それは国民に対する背信であると同時に、より根源的には人間に対する冒涜である。

上告人勝、上告人美鈴が、我が子上告人修代に対して、どうしてかかる事態に立ち至ったのかをきちんと説明を加えられるべき正しき判断を希求する。

よって、本件上告に及ぶ。

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